死ぬ前に書きやがれ

文章を書きたい30歳会社員。音楽とお笑いが好きなので主にその話。時々、感じた別のことも。

2013/6/13 くるり解体新書@京都清華大学

音楽が好きです。
但し、詳しいかと言われれば全くです。
楽譜は辛うじて読めるものの、音楽、特にバンドが奏でる音の技術的な面はからっきし分からない。
恥ずかしながらも打ち明けると「うわーこのギターソロ最高や」とギタリストを恍惚の表情で眺めてみたら、「ギター…弾いていないなぁ…。」
それキーボードの音でっせ…なんて日時茶飯事です、はい。

音楽がどのような経緯で、どのような想いで作られているのかも知らずに聴くなんて冒涜なんじゃないか。
実はライブハウスにいる中で私が一番何も分かってないのでは?
なんでそんな皆さん楽しそうに、良き所で、フー!みたいなん入れられるん!?ナイスプレイやったんか今は!!??分からんで!!!!!
わー!!!!

こんな感じで日々思う事もあったが、でも音楽を聴いて私が何か思ったらもうそれが正解でいいんじゃないか。聴いている時だけは勝手に自分の物にしていいんじゃないか。
そんな風に思えたきっかけの出来事がある。

2013年にくるり岸田さんが京都精華大学で行ったアンセブリーアワー講演会「くるり解体新書」。
今でこそ同学校で教鞭をとられていますが、当時は無料・先着順で入れるファン垂涎ものの超ラッキーイベントでした。
(さっき調べたらイベント自体は今も続いていました。今年6月に東村アキコ先生来るねんけど…。行きたい…。)

mixi(懐)に思い出せるだけ講演内容を書き出していたんですが、今読み直しても結構面白かったので、改めてこちらのブログに移してみます。

2013/6/13 くるり解体新書

くるり岸田繁さんを迎えてのイベント。今回は“ばらの花”、“Jubilee”の楽曲構造を専門的に解説するというテーマでしたが、全く知識がなくてもすんなりと言葉が入ってきて、大変興味深いものでした。

主催の京都精華大学はクリエイターのための学校。そんな学校の裏山に岸田さんはよくカブトムシを取りに来ていたそうです。


・ばらの花について

元々この曲のコンセプトは「人間がいかに機械的な表現が出来るか」に挑戦するということ。
今で言うボーカロイド(機械が人間の表現をする)の真逆に突き進んでいた。
Pro Toolsを使って各楽器のパートごとに聴いていく手法で解説。


-イントロ部分-

【ドラム】
立体感、バランス調整のために10本のマイクを使って録音。普通に叩くよりこの曲のスネアは音が伸びず「パシっ!」とキレがよい。この音はドラムにタオルを巻いて音の響きを潰したそう。

当時くるりの3人はクラブミュージックにはまっており、そのニュアンスを出すためにスネアを際立たせた。機械で調整せずそのような手法をとったのは「人間味」を出したかったから。どれだけ正確に叩こうとしても、人間だからどうしてもサビ前で盛り上がったり、タメが生じたりする。それを大切にしたかった。


【音楽の三大要素とは?】
リズム、ハーモニー、メロディ。
ハーモニーがリズムとメロディの接着要素となっている。ばらの花でいうとこの役割は「ベース」が担っている。

【ベース、ギター、ピアノ】
ギターとピアノはストイックに一定の音を刻む。 しかしベースは音階の変化をしている。
その証拠に、ピアノとギターだけの音を出して重ねて聴いても一定で変化が起こらないように聴こえるが、ピアノ×ベース、ギター×ベースの組み合わせで聴くと、メロディーラインが表れ、曲らしく聴こえる。


くるりの楽曲の多くは、岸田さんのギターは単調、佐藤さんのベースがかなりの音階変化を持つパターンが多い。それを岸田さんは「弾くん面倒やから」と仰っていましたが、その手法が唯一無二のくるりの音になっているのかも。

さらにイントロには、シンセを重ねて音をぼかし、ギターも実は2本の音を重ね録りしてある。1回目は正確にリズムを刻んだ1小節をひたすらループしてあるもので、2回目は1回目を聴きながら最後まで一気にギターを弾ききったもの。 一回目の少しイガイガとした正確なリズムと、2回目の緩急がついた音を組み合わせて立体感を出した。

透明感があるように聴こえるボーカルトラックも実は6回重ね録り、なんてこともあるそうだ。重ね録りは「隠し味」としてよく使われる。

これでイントロが完成。



-ギターソロ-

スライドギターで弾き、そのトラックを逆再生して録音した。シンプルなメロディーの中にここで不協和音をもってきて大サビへの感動の効果を生ませたかった。


―ボーカル―
「最終バス乗り過ごして~♪」の部分など、少し声がぼやけているところは全て岸田さんの声を二重に重ねてあるそう。
ここで、ボーカルトラックのみを切り出して聴かせて貰えることに。(嬉)
このボーカルのみを聴くこと、相当恥ずかしく「地獄聴き」と言うそうです。笑

岸田「もう、うわぁってなって田舎に帰りたくなる…って京都出身やっちゅうねん。」

1回目ははっきりバーンと声を突き出して録音。 2回目は囁き声で録音。
これを重ねることによって抜け感がでる事と、子音が聴き取りやすくなる。 これで完成!?となるも、ばらの花は「売れそうやなぁ…」と感じていたくるりの面々。もっとヒット曲にするには何が足りない?と考えた所、

岸田「儚さ、切なさ、心強さはあってんな。愛しさが足りない。女性らしさが。」

そこで当時SUPERCARフルカワミキさんのコーラスを重ねることに。 諸問題でミキさんの声単独は切り取って聴けなかったのですが、岸田さんはしきりに「可愛いなぁ…ばっちし曲に合ってるなぁ…」と仰っていました。

これにて「ばらの花」完成。



【質問タイム】手をあげて、学生の方々の質問に答えてくれました。

岸田「なんか学校名とか、お名前とか…どうぞ。」
生徒「高校生なんですけど…。」
岸田「高校行きなさいよ。」

Q.ライブ中重ねギターなどはどうしているの?

A.メンバーがよく入れ替わるブラック企業バンドと呼ばれているくるりですが。笑
2人いるときは重ねて弾いていました。同じ単調な音を刻みつつもアクセントをつける拍を違うところに持ってくることでグルーヴ感を出していました。

Q.イントロのピアノが雨のように聴こえる。イメージして作られましたか?

A.曲を作る時はこれはこの音の表現!とイメージしてしまうと大抵失敗する。
物理的に作業的に作ることの方が多い。イントロのピアノの狙いはテクノ感の強調。

物事の始まりには大した意味がないところから成立している物も多い。だから僕らが作業的に作った物を、各々の解釈で様々なイメージで捉えてくれることはとても嬉しいです。


この時点で時間が大分推していたので、Jubilleの解説はできず、急遽新曲“ロックンロールハネムーン”解禁。
岸田「録音した人、処刑です。」笑

ファンファンさんのトランペットが効いた超絶かっこいい楽曲でした。岸田さんが小指を怪我していた為ギターが使われておらず、メロトルンという楽器を使ったり、ボーカルを三重にしてあったりなど、こだわり沢山。

タイトルには「創意工夫こそがロックだ」という想いが込められているそうです。


【質問コーナー】
Q.アイデアが湧く瞬間とはいつ?

A.何気ない瞬間。普通に生活をしている時など。ひらめきはクリエイターだろうが、普通の人だろうが誰にでも出来ること。
ひらめきをどのように具現化するか、具現化を楽しめるかが大切。


岸田「起立ー!ありがとうございましたー!」




1時間半超の講義、楽しかった。月並みな表現ですが。 私はただのくるりファンで専門的なことは全く分からない。曲も分析するより、感じ取るのが好きです。しかし好きな物の仕組みを知ることも楽しいと思えた時間でした。感じる、分かる、これから上手く両立していきたい。

くるりの曲て聴いていたらとても幸せでぽわっとして、いざ自分も!とカラオケで歌ったらどんな歌手よりも満足度低い。笑
その原因が分かった気がした。これだけボーカルトラックにも様々な仕掛けがあって、あの独特のぼんやり感が作られているのだから、そりゃ簡単に近づくことはできない。
ライブ中も岸田さんは囁き声で歌ってみたり、工夫を重ねているそうな。そんなの知ってしまったら、次のライブがさらに楽しみ^^

そして何よりも岸田さんの「ひらめきは誰にもできる。それをいかに具現化するか」という言葉が突き刺さりました。 ノンクリエイティブなただの文系学生ですが興味はある。そういう物に関わりたい気持ちもある。

関われるチャンスを人から与えて貰おうとしていた、それが叶わなかった。てことが最近あって落ち込んだのですが、この言葉を聞いて、長い人生で自分自身がどのように憧れの「クリエイティブ」に絡みたいのかを考えてみてもいいんじゃないかと思えた。
とりあえず今できる趣味の文章を書くこと。これは続けていきたいです。 この考えを得られたのが個人的に一番の収穫でした。

あーー。幸せな時間を過ごさせて貰った。


…5年前も今と同じような事言ってんなあ。笑
頑張れよ自分!笑

ひとまずそれは置いておいて、冒頭書いた「音楽を聴いて私が何か思ったらもうそれが正解でいいんじゃないか。」という話。
質問コーナーで「ばらの花のイントロは雨の音に聴こえて…」と話し出した男子学生が物凄い熱量で。僕にとってのばらの花はこういう歌!ていうストーリーの説明みたいになっていたのですが、岸田さんが答えたのは「ばらの花のイントロはイメージからではなく、音楽として技術的な実験(=人力でいかにテクノ感が出るか)」だったということ。

この乖離がとてつもなく面白くて!私は男子学生のストーリー作ってしまう感情にとても共感した。でも産みの親はそんな事は全く考えておらず「作業的に自分たちが作った音を自由に捉えてくれるのは嬉しい。」とのこと。
この言葉、すごく救われた気がしました。

じゃあもう聴き手が自由にこれは自分の歌だ、って勝手に決めてしまってもいいんじゃないかと。音楽を聴いて楽しかったり、泣けたり、嬉しかったり…。きっとそれも一つの正しい楽しみ方だ。

シンプルに、やっぱ音楽が好きです。