死ぬ前に書きやがれ

文章を書きたい30歳会社員。音楽とお笑いが好きなので主にその話。時々、感じた別のことも。

初めまして

初めまして。大阪で一般事務OLとして働くばるんばと申します。

突然ながら、このブログを書く経緯と主旨をご説明します。

 

私には、好きなものがあります。

 

お笑いを見る…面白いは格好いい。

音楽を聴く…日本のロックが好きです。心が揺さぶられます。ぶるんぶるん。

そして、文章に触れることです。

 

好きだからといって、芸人さんになりたい!ミュージシャンになりたい!という欲は一度も湧いた事がありません。

ただ、文章だけは「書いてみたい」と発信側に食指が動きました。学生時代は文章を書く機会が多く、mixiやらブログやら大学のレポートやらを、楽しんで書いていました。

 

しかし、それらは全て公に見せるものではなく、ただ自己満足。文章を書くことを続けたり、仕事にしたりする方に憧れてはいましたが、自分には無理だと諦めきったまま、月日と共に欲は薄れ、今は全く関係のない仕事に精を出しています。

 

が、先日ふと頭をよぎりました。

 

「あれ?このまま何もしなければ、何もしなかったなぁと思いながら死んでしまうんだ。」

 

至極当然のことなのですが、ガツーンと来ました。衝撃でした。すると、書きたい、書きたい、書きたい!!!と衝動が止まらなくなったので、公にして文章を書いてみようということになりました。

 

何が書きたいのか、何を書くのか自分でもどうしたいのか分かりません。ただ書きたい衝動に身を任せていこうと思います。

お時間が空いた時に何となく気になるものがあればお付き合い頂けると幸いです。

 

「死ぬ前に書きやがれ」

よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話〜あとがき〜

「来期からはこの業務を担当してくれない?」

なんか、また仕事が増えた。とぼとぼと歩く帰り道。今日のことを思い返していた。

会社で働いて、早10年ちょっと。上がらない給料に反して、仕事は増えていく。ここ数年、会社はずっと人が足りなかった。私に増える仕事は、力を認められているというより、人が抜けた穴を必死に埋めるためにある。そう感じていた。

溺れそうだ。そんなことを仕事中に感じることが増えていった。ちょっとでもこの場を離れたいという気持ちが、どんどん大きくなっていた。

そんな時、友達からの連絡が来る。

「妊娠しました」

いいなあ。この子は会社から離れられるんだ。おめでとうより先にそんなことを思ってしまった。自分を猛烈に責めた。

疲れている。今日もとても疲れた。そんな時、私は何か文章を書きたくなる。書いている間の時間が好きだ。今日は何を書こうか。誰に見せるでもないけれど、ラジオADをしていた日々のことを書き出していた。


「へえ!見せたらいいやん」

ラジオの話を書いている。ある日、友達とお茶をしていて、そんな話をしたらこう返ってきた。

その友達は本がとても好きな子だ。ある日、一緒に遊んだ帰り道、駅でバイバイと別れようとすると「ちょっと待って。今日、本持ってくるの忘れてん!買ってくるわ!」と、まるで水を忘れたのと同じぐらいのノリで、本屋さんに走っていった。

そんな彼女にこの話をしたら、見せたらいいやん、ということになった。

私は昔から文章を書くのが好きだ。小さい頃は、いつか自分の名前がクレジットされた本が出たら素敵だな…と妄想することもあったが、物語やフィクションを書く力がない。作家にはなれないから、そんな夢はとっくに諦めてしまっていた。

「自費出版というのがあってね」

彼女はそう教えてくれた。自費出版という方法がある。今はZINEというものも流行っている。結構自由やで。いけるんちゃうかな。

自分の書いた文章を自費出版する。そんなことができるのか。やってみたい!とテンションが上がった。その日は2人とも興奮して、カフェからファミレスへと移り、7時間近くおしゃべりを続けた。

本を作るんだ!そう意気込んだ私は、ラジオ局での日々を綴り出す。しかしいつも趣味で書いている文章や、昔に書いていた放送後記は長くても3,000字程度。長尺な文章を書くのは初めてで、気がついたら前後の繋がりや、説明を入れることに必死になっていた。

第一稿として書き上げた20,000字程度の文章。それを本好きな彼女に、書いてみた!と軽い気持ちで送った。すると彼女から返事が来た。

「時間をかけてしっかり読むね」

自分のことなのに、背筋が伸びた。


それからしばらく経ってから、彼女に会うことになった。目の前には紙が置いてあった。私の書いた文章が印刷されて、赤ペンで沢山注釈が入っていた。非常に驚いた。

「まずは友達として、すごくラジオの仕事を頑張っていたんだなあって思った。でも、本好きとしては、偉そうかもしれないけど分かりにくい気がする」

ダメージを食らった。やはり私が書く文章は良くないのか。しかし、よくよく話を聞くと彼女は「つまらない」とは一言も言っていない。
彼女の言葉は、文章の技術うんぬんではなくて、もっと違うところにあった。

「なんとか説明しようとするのに重きが置かれすぎているのかな。もっと好きなように書いて。書いている人の感情が見えた時が、ワクワクするんやで」

そんな言葉で道が開けた気がした。私はプロでは無い。プロでは無いからこそ、自由気ままに書くことができる。



そこから、話が止まらなかった。

そもそも自費出版を考えてんけどさ。作って、販路を考えて、出荷して。お金も時間もかかる。別にブログで公開したからといって、後から本にしてはいけない訳ではない。

でもブログに書くなら今までと同じすぎる気もする。自分の中で大切にしていたエピソードやから、気軽にネットに出すのは勿体無いと思うのは余計なこだわりなんかな?

そもそもこの話って、読んだ人に何が伝わるんやろう。書きたいから書いた、そんな文章って面白いんか?

そんな話を延々と何時間も続けた。

「分からん!!!!!」

最終的に2人で分からなくなった。けれど、書きたい気持ちは止まらなかったから、その熱を大事にしたいよね、ということになった。まずは公開をしてみよう。その後どうなるかは分からない。いつかこれがまとまって本になったら素敵だな。叶うか分からない夢に、こっそりワクワクしながら。


ラジオの世界に足を踏み入れた時もそうだった。右も左も分からない私に、沢山の人が面白い世界を見せてくれた。

今回も同じだった。モヤモヤをなんとかしたくて、1人で文章を書いていただけだった。誰に見せるつもりもなかったはずなのに、気が付けば敏腕な編集者が寄り添ってくれていた。

振り返ってみると、私はそういうことが多い。どうしていいか分からなくなった時に、いつも誰かに手を差し伸べてもらっている。

認めざるを得ない。私は多分、運が良い。


そんな感じで綴ったラジオでの日々のことでした。最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話24

その後、担当の音楽番組は最終回を迎えることになった。前番組の経験を活かして、最終回までの放送をしっかりと楽しみ尽くした。

迎えた最終回。
番組に関わった沢山の人たちが集まった。放送が終わってから、珍しくスタジオ内でお酒を飲んで打ち上げをした。
なんだか話がどんどん脱線して、自分の人生の出来事でクイズを作ってみるなら?と、その場にいる人たちでクイズを出し合っていた。
どれもこれも面白い。やっぱりラジオに関わる人たちは、果てしなく面白い。


私は番組の最終回を区切りに、ラジオから離れることになっていた。送別の品は何にしようかなと色々と思い巡らせて、一緒に過ごしたパーソナリティさん、スタッフさん達にボールペンを渡すことにした。

よくスタジオで誰かが、ボールペンを探していたからだ。これからそれぞれの場所で、もしラジオ以外の仕事をしたとしても、きっとボールペンなら使えるだろう。そう思った。

全員同じ種類、でも色はそれぞれのことを思い浮かべて変えた。ボールペンには名前を入れてもらった。間違える訳がないけれど、絶対に間違えたくないから、それぞれのLINEを開けて8回ぐらい名前を見直してから刻印を頼む申込用紙に記入をした。

いつも番組の中心でみんなを見守ってくれたパーソナリティさんには、リーダーみたいな赤。空が好きなあの子には青。この色はあの人っぽい。これはこの子だ。そんな風に選んだボールペンを渡した。喜んでもらえたようだ。ホッとした。

プロデューサーにこう言われた。
「あなたは番組の良心でした」
これでいいのか、大丈夫なのか。ラジオADとしてもがき続けた7年半。とてつもない褒め言葉を最後に貰ってしまった。


それ以降、私がラジオ局に行くことはなかった。
また会社員の生活に戻り、髪の毛のインナーカラーをやめて黒髪に戻した。しかしなんだか代わりにパーマを当ててみたくなった。髪の毛は今も、くるくるとパーマがかかっている。
仕事中はみんなとお揃いのボールペンを使っている。忙しい時ほど、そのボールペンを手に取るようにしている。

ラジオの現場を離れてから、文章を書くことはなくなってしまった。でも時々、どうしても書き出したくなる時がある。誰に頼まれたわけでもなく、誰に見せるでもない。それでも日々の生活で息が詰まりそうになった時には思わず何か書いてしまう。

今回はラジオのことが書きたくなった。
いろいろと上手くいかないことが積み重なる中で自然と思い出したのが、ラジオADとしての日々だった。

あの時みたいに特別な瞬間だけではなく、続く日々の中で小さくガッツポーズができたら、きっとそれでいいんだろうなと思う。

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話23

ラジオ局の人たちが、労力と熱意で形にしたイベントだ。そんなイベントのライブレポートを書かせて貰える。絶対に失敗はしたくなかった。

ライブレポートを任せたいと言われた日から、毎日出演するバンドの音楽を聴き続け、情報を頭の中に叩き込んだ。ライブ当日までの2週間、私は空いている時間のほとんどをそれに使った。


ライブ当日。ライブハウスの1番後ろに確保された狭いスペース。そこに設置された小さな机。
「ライブレポート用」と書かれたガムテープが貼ってあった。いよいよ始まる。
 
その日のライブには、ただただ圧倒された。
純粋にお客さんとして足を運んでいたら思わず涙がこぼれてしまったかもしれない。3組が三者三様、とんでもない熱さのライブだった。

私は真っ暗なライブハウスの中、握りしめた進行表に必死にメモを取る。暗すぎてもはや何を書いているのかさえ分からなかった。でも書かなければ。
この温度をなんとかここに残したい。

ライブが終わり、タクシーに乗り込み急いでラジオ局に戻った。生放送が始まった。私は放送中もあのライブの熱さを取りこぼすまいと必死に頭の中で情景を思い浮かべ続けた。


家に戻り深夜2時。ライブレポートを書き始める。必死にメモをとった進行表に書かれた文字はめちゃくちゃで、ミミズが這った跡のようだ。
ライブを思い出し、あの曲が良かった、あのMCに感動したと、書きたいことはいくらでも出てきた。止まらなかった。

気がつけば外が明るくなっていた。
明け方7時。ライブレポートが完成した。
文字数を数えると5,000字以上。どう考えても長い。どう考えても長いけれど、私はこのままライブレポートをプロデューサーに送った。


後日、そのライブレポートは番組公式の記事としてニュース媒体に掲載された。削られることもなく、一言一句私が書いたままの文章だった。そして最後には、自分の名前が記されていた。

「いいライブレポートだね。誰が書いたの?」
そう言ってくれる人がちらほらいたと後から聞いた。しかしSNS上ではそこまで広がらなかった。難しいもんだなと改めて実感した。

それでも、自分にとっては渾身の一本だと思った。事前に準備をしっかりできた。ライブ自体を心から楽しんだ。でもそれは、ラジオ局でこのイベントを作って来た人たちの熱を感じ取れたからこそ、書けたものだとも思った。
もしプロのライターだったら、そんな事前の情報もなく、準備期間もここまでなく、「書きに来てください」と言われるんだろう。

私にはやっぱり無理だ。そう思ってしまった。
でも不思議と悔しさはなかった。あのライブの熱を、自分なりにちゃんと残せた気がしたからだ。

それで、ようやく区切りがついた。

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話22

「おはようございます」

スタジオに入ると、お久しぶりですと出迎えてくれる人と、初めましての人が混ざっていた。
前とは少しだけメンバーが変わったスタッフ陣。
1回離れたところに戻るのだから、しっかりやらないと。私はそんな誓いを自分の中で立てながら、また深夜のラジオ現場に戻っていった。

新しいスタッフには、ラジオ局の新入社員や、フリーランスでラジオの仕事がしたいんですという子たちが加わっていた。年齢は一回り近く下だった。
家賃や生活費、将来の安定なんて二の次で、とにかくラジオが好きだからこの業界で働きたい!と頑張っている姿は眩しかった。

この子たちが働きやすい場になるように、少しでも協力できれば。
そんなことを思いながらADとして過ごしていると、「文章を書く仕事がしたい」なんていう自分本位な願いは消え去っていた。
みんなが過ごしやすくなるように、とにかく目の前の仕事をちゃんとやる。そんな気持ちで日々を送っていた。


ある日、番組主催の音楽ライブが開催されることになった。放送前の時間帯にライブハウスでバンド3組の対バンライブをするらしい。
毎週の打ち合わせで、少しずつ解禁される情報を聞いていると、ここまで形にするのにとんでもない労力がかかっていたことが伝わって来た。番組にとって念願のイベントだった。

この音楽ライブの日は、担当している番組の生放送がある日だった。
ライブ会場で働く班と、生放送に向けてラジオ局内で準備をする班に分かれることになっていた。
私がライブ会場に行っても、出来ることが思いつかなかった。自分はラジオ局の班に入るんだろうなと思っていた。

そんな時、プロデューサーから「ライブ会場の方に行って貰えますか?」と言われた。
音楽ライブのADって何をするんだろう。
少し焦りながら「了解です。行きます」と答えると、予想外の一言が返ってきた。


「ありがとうございます。ライブレポートを書いてください」

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話21

ADを辞める少し前、私は結婚をした。
どうやら運命の人だったようだ。

「おめでとう!」
周りの人たちから祝福を受けた。ありがとう、と返しながら、私は少し温度差を感じていた。

私はこれまで周りの人たちの結婚報告を聞くと、毎回とても浮かれた。
「どういう経緯で!」
「プロポーズどんなんやったん!」
「えー!運命やん!」

お祝いする側しか経験がなかったから、結婚とはすごくおめでたいものだと思っていた。しかし当事者になってみると、結婚とは思ったより“生活”そのものだった。

とにかくやる事が多すぎる。
新居の手続き、公的な手続き、お互いの親への挨拶、親戚への挨拶、家はどうする?結婚式はどうする?携帯のTO DOリストはいつもぱんぱんだった。

結婚したからラジオを辞めた訳ではないけれど、結果的にADをしていた時間は、新生活を整える時間にすり替わっていた。
忙しく過ごしながら、寂しさを感じる暇もなかったけれど、ふとゴールデンタイムのテレビを見ている時に「この時間にテレビを家で見れるのは何年振りだろう」とぼんやり思うことがあった。

番組を離れてからも、ラジオ局のスタッフたちとの関係は続いていた。時々飲みに行ったり、近況を報告しあっていた。厚かましく結婚式のVTR作成をお願いしたら、とんでもないクオリティのVTRを作ってくれた。宝物になった。


結婚式が終わりひと段落した頃、ラジオスタッフの1人とご飯を食べに行った。その時に、私の後任のADさんが転職することを知った。
「戻って来てくれないかなって、プロデューサーが言ってましたよ」そんなことをこっそり聞いて、少し胸がざわついた。

それから少し経ったある日、プロデューサーから連絡が来た。
「もう一回ラジオに戻って来ないですか?」

そう言われて私は、「はい」と答えていた。
正直、今でもどうして戻る決断をしたのかは自分でも分からない。ただあの時は、それが1番自然な答えのような気がしていた。

私はまた深夜ラジオのADをすることになった。

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話20

文章を書く仕事を貰ったんです。
1番最初に好きになったラジオ番組のパーソナリティさんに報告に行った。その方の本業はライターだ。この方がきっかけで、私は今ここにいる。
ラジオの世界で文章を書くんだったら、報告は絶対に必要だと思った。

「地域密着ニュース?好きなことじゃないんじゃない?本当に好きなことを書いた方がいいよ」

と、返ってきた。
一瞬迷いが出たけれど、今の私は選り好みなんて出来る立場ではない。そう思って突き進むことにした。


初めて挑戦する地域密着ニュースの記事執筆。素人ながら構想を組み立ててみた。
これを書くには色々と人に話を聞かないといけない。やり方は分からなかったけれど、休みの日に街中に出てインタビューをしてみた。

ここなら話を聞けるかなと、ある施設に入って受付の人に声をかけた。すると「何を探りにきたんや。身分証明書を置いていけ!」と怒鳴られた。
本当は個人情報を渡したくなかったけれど、この場を乗り切ることができそうにない。私はラジオ制作の名刺を差し出し、その場から急いで逃げ去った。


これはとんでもないチャンスなんだ。
分かっているはずなのに、どうしても書き進めることができなかった。しかしせっかく頂いた仕事だ。やり遂げるしか道はない。
苦しみながらなんとか書き上げた記事は、当初の構想とは随分かけ離れた内容で完成した。

しばらく経って、その記事はWEB媒体に掲載された。編集さんの手によって大幅に修正が加えられ、私が書いた文章の面影は、ほとんど残っていなかった。
「あなたはプロとして書けるレベルには至っていません」そう言われた気がした。


他にもまた書きたいことを思いついたら、声をかけてくださいね。
今回の仕事をくださった方には、そう声をかけてもらった。しかし他に書きたいことが思いつかなかった。結局それ以上、文章を書く仕事が広がることはなかった。

それでもADの仕事は続けていた。
会社員として働きながら、週2回の深夜勤務。
気が付けば身体がおかしくなっていた。
朝起きても全く疲れが取れない。なにをどうしても首が痛すぎる。
整体に行ってみると「なにこれ!こんなに凝り固まった人、初めて触ったわ」と驚かれた。

無理をしていたんだな。
そう気がついた時に、とうとう気力も底を尽いてしまった。プロとして文章を書くことの難しさを痛感した今、生きていくには出来る仕事でちゃんと稼いでいくしかない。そう思った。

私はADを辞めることにした。

会社員をしながら深夜ラジオのADをしていた話19

ある日、紹介してもらった業界人の方に会いに行った。その人は、別のラジオ局に勤務していた。

初めて足を踏み入れるラジオ局。
緊張して、駅からラジオ局にたどり着くまでに見かけたトイレには全部入った。受付で名前を告げると、上にあがってくださいと言われた。

恐る恐るオフィスを覗くと、目的の人が出迎えてくれた。前に私が担当していたお笑い番組のファンだ、そんなことを事前に聞いていたから、ずっと取ってあった番組の台本を一部持っていっていた。
めちゃくちゃに書き込まれたメモ付きの台本。その人は興味深そうに台本を眺めてくれた。

この人も、あの人も、あの番組のファンだったんですよ。よかったら名刺を置いていってあげてください。
そう言われて誰も座っていない座席に、あの「ラジオ制作」の名刺を置いていく。
いまだにこれを渡すのには戸惑いがあった。でも初対面の人と今の私を繋いでくれる大事なツールだ。置かない訳にはいかなかった。


その後、通された席に座り私は話し始めた。会社を辞めてラジオ業界に転職したいこと、文章を書くことが好きなことを伝えた。するとこう言われた。

「それじゃあうちの媒体で何か書いてみます?」


紹介されたその媒体は、主に地域密着のニュースを取り扱うWEBコンテンツだった。ここで書くとしたらどんなことを思いつきますかと言われ、突如初めてネタ出しをすることになった。
はやる気持ちを抑えつつ、千載一遇のチャンスを逃してはいけないと、いくつもの案が口から飛び出していった。

実際に書けるかなんて分からない。
でも「書いてみます?」という気が変わらないうちに、私は書ける人間だというのを、止まらない言葉で繋ぎ止めていくしかなかった。

「これいいんじゃないですか。これで書いてみてください」

一つのトピックを指さしながら、そう言われた。
その場で「文章を書く」仕事が決まってしまったのだ。